延喜式内社
恵那神社の
由緒・由来
御神体
恵那山
標高2,191m
鎮座地
奥宮本社
恵那山2,191mの山頂(摂社六社と共に)
前宮本社
岐阜県中津川市中津川字正ケ根3786番地の1
川上(かおれ)正ケ根
御祭神
−主祭神−
伊邪那岐大神(いざなきのおおかみ)
伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)
−摂社神−
一の宮神社
猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)
二の宮剣神社
天目一箇命(あめのまひとつのみこと)
三の宮神明社
天照大神(あまてらすおおかみ)・豊受姫大神(とようけひめのおおかみ)
四の宮熊野社
速玉男命(はやたまおのみこと)
五の宮富士社
木花咲開姫大神(このはなさくやひめのおおかみ)
六の宮葛城社
一言主大神(ひとことぬしのおおかみ)
社格
- ・延長5年(927年)に完成した「延喜式神名帳」に恵那郡三座の内恵奈神社と記されて居る(奥宮)
- ・天慶3年(940年)に作られた「美濃国神名帳」に従五位恵奈明神とあるのが前宮
- ・明治4年(1871年)恵那郡の総鎮守総氏神と尊崇される
- ・明治6年(1873年)郷社に指定される
- ・大正14年9月19日(1925年)岐阜県の県社に昇格
- ・昭和20年3月10日(1945年)宗教法人・岐阜県金幣社に指定
例祭日
山頂奥宮及び摂社:毎年9月19日
前宮本社:毎年 9月29日
御神宝
木曽義仲奉納の伯耆国住貞綱の太刀(岐阜県重要文化財指定)
御神木
樹齢千年と云われる夫婦杉(岐阜県天然記念物指定)
芸能
元禄年間より伝わる恵那文楽(岐阜県無形民俗文化財)は例祭日に奉納される
恵那山
美濃地方の最高峰
日本の百名山に数えられる
恵那の地名は伊邪那岐・伊邪那美の夫婦が峠を越されて美濃の地に入られた(神坂峠)時、天照大神をお産みになった際の胞衣(えな)を山に納めたと伝えられ胞衣山が恵那山になったと云われており、産湯につかわれた湯が「湯舟沢」、胞衣を洗ったとされる「血洗の池」「血洗神社」、出産を終え安らかな気分になり腰を掛けた岩「腰掛岩」、安らかな気・安気が「阿木村」等、言い伝えにまつわる地名が数多く残っております。
御嶽山黒沢口を中興開山した覚明行者が、この恵那山を山岳道場として修行に励んだともされ、濃尾平野の人々にとって、伊吹山と共に恵那山は信仰の対象になった山と云われ、その中心地となったのが恵那神社と云われています。
創建は不詳で、延長5年(927年)朝廷から幣帛料を賜った神社として、延喜式神名帳に恵那郡三座の内恵那神社と記されています。
恵那山には天照大神の胞衣を納めた地という伝承があり、恵那山信仰がありました。恵那山に鎮座する恵那権現社のことを、「中山道筋道之記」は「恵那ヶ嵩 中津川宿内より南 但シ中津川宿より麓まで二里 頂上に七社これ有り候」と書き、恵那権現、役行者、富士権現、神明、剣権現、和光同塵、熊野権現の七社をあげています。湯舟沢の諏訪社には恵那権現が合祀されているそうです。恵那権現の所属を巡って、落合村と手金野村(手賀野)で軋轢があったことも書かれているそうです。
天正4年(1576年)には恵那神社七社が再建されたようです。中川旧記(胞梺雑誌略草)によると、「小木曽彦十方控ニこれ有り」と、「永禄4年(1561年)9月 願主小木曽五郎兵衛 天正4年(1576年)七社共再建」の棟札があったことが書かれています。
正徳3年(1713年)3月の再建の記録では、川上(かおれ)の産土神「神明社」を除く六杜は、いずれも山岳信仰を基盤としており、修験道とのかかわりも深かったようです。
「飯沼村藤四郎日記」から宝暦14年(明和元年)(1764年)の恵那権現参詣の様子を見ると、参拝する道は、阿木村や飯沼村などから、龍泉寺(根の上にあった寺)道を通り川上(かおれ)へ下る道、それに、中山道沿いの村々などから、中津川を溯上して登山する二つの道があり、どちらから参拝したとしても、川上(かおれ)に一泊していたようです。
また、現在市内中村にある宗泉寺は、創建年月は不明ですが以前は恵那神社の前にあり(神仏習合)、恵那神社の別当も兼ね勤めていたそうです。川上(かおれ)には、寺屋敷の地名があり、宗泉寺の宝物として社僧当時の笏が残っています。恵那神社付近には五輪塔や宝篋印塔もあります。
明治45年(1912年)年に宮司 梅村 馨氏によって発刊された恵那神社の由緒や氏子など同神社について解説した「恵那神社誌」があり、「国立国会図書館ライブラリ」にて読むことができます。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/815146/1
参考資料:中津川市史 中巻Ⅰ